2010年06月07日
アッツの酷寒は
私らの想像のむこうにある。
アッツの悪天候は
私らの想像のさらにむこうにある。
ツンドラに
みじかい春がきて
草が萌え
ヒメエゾコザクラの花がさき
その五弁の白に見入って
妻と子や
故郷の思いを
君はひそめていた。
やがて十倍の敵に突入し
兵として
心のこりなくたたかいつくしたと
私はかたくそう思う。
君の名を誰もしらない。
私は十一月になって君のことを知った。
君の区民葬の日であった。
秋山清(1904/明治37年—1988/昭和63年)は、戦時下に多くの抵抗詩を書いた詩人として、金子光晴とともに語られるが、その全貌はまだよく知られていないように思われる。秋山清の抵抗詩について教えてくれたのは、吉本隆明の「抵抗詩」という文章である。「秋山の戦争詩の特徴は、」吉本が云うように、「おおっぴらな抵抗感覚ではなく、庶民の生活感覚や実感から発して、戦争の非人間性にたいして、ささやかな人間的感情を守る、というようにかかれている」。それは、上記の、1944年に書かれた「白い花」を読めば、納得されるであろう(「アッツ島の戦い」は1943年)。秋山清の詩を読んでいて気がつかされるのは、詩人の類い稀なる強靱にして孤独な精神である。この精神はどこからやってきたのだろう、と考えながらさらに詩を読んでいくと、「秋山の達成を『抵抗』の視点からみようとするなら、まず何よりも、彼のおのれ自身に対する抵抗をみなければならぬ」(内村剛介)ことを知らされる。このことについて、さらに考えていきたい。
「ヒメエゾコザクラの」「その五弁の白に見入っ」た「君」が「やがて十倍の敵に突入し/兵として/心のこりなくたたかいつくしたと/私はかたくそう思う。」と書いたとき、詩人は、「十倍の敵に突入し」た「君」と同じ場所にいたのだろう。(10.6.7 文責・岡田)
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