2010年09月13日
夕映 三好豊一郎
夕映の そこに何の秘密があるか?
黒い小さな一羽の鳥が
一日の希望の名残り 夕映の残照を身にあびて
高く遠く 雲の峡〔はざま〕を越えてゆく
空気はつめたく澄んでいる
そのあえぐ?〔くちばし〕までがはっきりと見えるほど…
睡りに落ちるまえのひととき 私は想い描く
かなしいまでに美しい今日の夕映を
熱い瞼〔まぶた〕の裏を暗転する地球のうえで
みもだえる一羽の小さな鳥影を
血を吐きながら わなないて
わななきながら 咳込んで
天と地の間〔あわい〕 金と緑の燃えあがる夕映の水に落とす
脱出の苦悩の影を
——それはだんだんに遠去かる 意識から
夢と現〔うつつ〕のいりまじる茜の映えを追いながら
やがて私は沈んでゆく
睡眠の暗い底へ…
—1992年)の詩集『囚人』は、「戦後詩」の始まりを告げる詩集であった。「私の心臓の牢屋にも閉じこめられた一匹の犬が吠えている/不眠の蒼ざめたvieの犬が」というフレーズで知られる、タイトルポエム「囚人」は、「戦後詩」を語る際に必ず取り上げられる詩である。こういう詩が戦時中に書かれたことは驚きであり、その内面を凝視する強度は記憶されるべきものである。その「囚人」を紹介しようと、三好豊一郎詩集(現代詩文庫)を読んでいたら、ちょっと気が変わり、上の「夕映」を取り上げることにした。「囚人」の冒頭「真夜中 めざめると誰もいない——/犬は驚いて吠えはじめる 不意に/すべての睡眠の高さにとびあがろうと」にある「すべての睡眠の高さ」という詩句とくらべると、この最終行「睡眠の暗い底へ…」はいかにもダウナーに感じられるが、そこまでに到る詩句の一行一行には詩人の覚醒した意識が働いていて、弱々しいものはいっさいない。「あらゆる現象が急速に、破滅的に一つの終末に近づきつつあるとき、錯乱は到る所に現れる一つの痙攣的な自我のあがきである。私のこの詩集もその一例に洩れないであろう」とは、詩集巻末に置かれた著者「弁明」の辞である。詩人はなにを「見た」のか。『囚人』は、読む者を「不眠」の夜に誘ってやまないのである。(10.9.13 文責・岡田)
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