詩情と空間<14>  浅野言朗

 

 

42:海について

 今回は、海について考えてみたい。

 震災を考察することがこの論考の目的ではないが、東日本大震災を振り返ると、一つ気がかりなことに思いいたる。それは、津波被害における(福島の原子力発電所の事故も、その発端は津波被害による全電源喪失であった)、不思議なまでの海や津波に対する無警戒さである。三陸沖においても、(あるいは、例えば東南海沖においても、)地震による大津波は定期的なものであり続けている。にもかかわらず、あえてその津波を忘れたかのように、同様の災害を定期的に引き起こしている。招き寄せているのではないか、とすら思えるほどに。

 この、海に対する、意図的とも思える故意の忘却は、国民的な習性ではないか、とすら感じられる。一見、島国であり、海洋国家であるかのような装いを纏わせつつも、日本の実態は、それとは相反して、海に対して後ろ向きなものである。鎖国を持ち出すまでもなく、近隣の海洋において積極的な貿易を行った時期はむしろ例外的なものであるとさえ思われ、現在にいたっても、それほど大きくはない海を介した近隣諸国との関係は、最悪の部類に属するものであり、海という、隔ての領域にも交易の領域にもなりうる大きな広がりが、消極的な意味合いしか持ち得なかったのではないか、という印象がある。例えば、江戸時代の士農工商の身分制において、海に携わる仕事は、その中に積極的には組み込まれていなかったという。

 そのことを、どう考えればよいだろうか?

 海を、実態のある原寸のものとして認識することを、極力避けていた、と言い換えてみよう。日本の、海に囲まれた地形条件とは相反して、内向きの国土の形成の歴史にあって、海は極力遠ざけておきたい存在であっただろう。奈良や京都という内陸の盆地に首都が置かれて来たという事実。また、近代化において整備され形成されていった大都市、例えば、東京、名古屋、大阪といった大都市ですらも、海に面しているとはいえ、大きな湾の最奥部に置かれていた。どれも深い湾の深部に位置しているので、それは、半ば湖のような飼い馴らされた海域に面している、と言える。日本の風土は、海との間に幾重もの緩衝地帯を設けて、柔軟な接点のあり方を探っていたように思う。弓のようなかたちの国土において、その多くの部分が大海原に面しているにも関わらず、湾に囲われていない、剥き出しの太平洋側の沿岸部の領域は、むしろ都市化が遅れた地域である。

 

 

43:海の隠蔽

 海を遠ざけつつ、縮小されたものとして認識する、という空間技法は、国土の中の都市域の形成の道筋のみならず、いかにも日本的な作庭の技法の中にも示されている。

 平安時代の庭に設けられた池は、極楽浄土に広がる海の比喩であり、そこでは海は広大な広がりであるのではなく、島や岩や樹木を配置することで、意図的な遠近法の擬態が施されて、認識しやすい手頃な大きさの海として理解された。それは、石庭になればより顕著で、あちこちに石=島を配置しつつ、地表に敷き詰められた白石の粒子は海を表しており、この、海を切り取って、自分の小さな領分の中に箱庭のように比喩として設置する、という方法は、端的に海がどういう相の下に捉えられているかを示している、と言えるだろう。

 つまりは、平等院鳳凰堂にしても、大徳寺大仙院にしても、龍安寺石庭にしても、あの暴力的でどこまでも広がる超越的な海、というのは極力忘れ去られて、手頃な掌にのるような海へと置き換えられている。それは、例えば横山大観の『海に因む十題』においても、事情は同じであると思われる。海は、その他の樹木や太陽といった景観的な要素と適切にバランスを取られながら、相対的な景観要素として穏やかに、そこに横たわっている。海の本来の荒々しさを隠蔽して、景観的要素の一つとして背景であるかのように配置するという構図は、庭のような文化的局面から、国土の計画にいたるまで、あらゆるレベルで見られている。

 

 

 

 

 

44:そのまま、の海へ

 海を思うとき、我々は、むしろ瀬戸内海のような、おにぎりのようなかわいらしい島の多く浮かぶ、静かな箱庭のような景観の豊かさを思い浮かべるかも知れないが、本当の海はもっととらえどころのない、暴力的で無機質なものであるだろう。

 海については、人間との関わりにおいて、相反するベクトルが読み取れるだろう。一つは、全てを無化するような性質であり、もう一つは、全てを生み出す母胎のような性質であり、暴力性と慰謝する力の、二つの方向性があるだろう。

 海は、陸地との境界線における襞のおびただしい陰影によって、その暴力性を絶えず隠しつつも、その暴力性とは、ある厳格さに基づいている、と思われた。地球の重力による、水平さ。その水平さにおいて、あらゆる方向性を組み伏せている、と言える。それは、ただ重力に身を委ねて平らであろうとする、とても明快で単純な力学である。そして、その単純で明快な力学は、世界の表側と裏側をそののっぺりとした平滑な曲面によって結び合わせて行きながら、人間に怠惰な思考停止を強いている。例えば、三島由紀夫の航海日記における記述は、ある日本的な感性の持ち主の、海洋に投げ出された時の戸惑いと意識の変質を表していて、興味深い。

 

 

 最後に、写真家・杉本博司の『海景』に触れたい。この写真は連作であり、世界中の様々な場所、条件、時間において、ただ、海を撮影したものである。どの海も、画面の真ん中を水平に空と海の境界が走っており、画面の上が空、下が海、空と海以外は何も写っていない。全ての写真がミニマムな水平線だけを映しているので、一見、退屈なのであるが、よくよく見て行くと、空気の密度や海水の濃度が漂って来るようであり、それぞれの異なった海が立ち上って来る。

 この連作は、不思議なことに、海にはどこかに中心があって、世界中のあらゆる海岸線から、その中心へ向けて束のように眼差しを向けているかのような錯覚を覚える。そして、幾つもの写真を見比べて行くと、そこからは、原寸の海が立ち上って来るように感じられる。これは、原寸の海を極力遠ざけるように作用している、京都の庭園における海への眼差しと、精確に相反する視線である。

 そして、日本の作庭に見られる海の様式化された扱いが詩情の現れだとするなら、その様式化を剥ぎ取っていく、露呈された海そのものへと至る写真家の視線もまた、強い意志に支えられた詩情であると言えるだろう。そのような露呈しようとする眼差しが、今日ほど求められている時はない、とも思うのである。

龍安寺石庭

浅野言朗(あさのことあき) 1972年生まれ。詩人、建築家。詩集『26=64/窓の分割』(ミッドナイト・プレス)、

森の階調」( 浅野言朗建築設計事務所 、2013年日本建築学会作品選集新人賞)

帆/立方体/傾いた茶室」(2015年神戸ビエンナーレ・奨励賞)。

 

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