と、前書きのようなものが長くなったが、そろそろ本題である。前回(とはいってももう半年以上前であるが)、私は村上春樹の『underground2 約束された場所で』について語りながら、元オウム信者の「純粋性」と伊東静雄の詩「わがひとに与ふる哀歌」を強引に結びつけ、戦前の昭和10年代と現在とが細い糸でつながっており、現在の政治状況、文化状況にその「純粋性」が「不気味」に噴出しかけているのではないかと書いた。わたしがいま「血と薔薇」を読みながら郷愁を抱いてしまう「詩」もまたその「純粋性」なるものである。とすると、どうやら戦前と戦後をつなぐ糸を引く重要な人物がここにいる。

三島由紀夫である。

三島は「血と薔薇」創刊号の巻頭を占めている。有名な篠山紀信撮影の三島の恍惚殉教裸体写真「聖セバスチャンの殉教」が、「LE MORTS MASCULINES エロティシズムとは、死にまで高められた生の賛美である ジョルジュ・バタイユ 特集 男の死」と題されて掲げられている。次に「溺死」という全裸の三島が波打ち際でのけぞる写真がある。つづいて、澁澤龍彦ほか、先に挙げた掲載作家たちが細江英公ほかの写真家たちによって被写体となり、「サルダナパルスの死」「オルフェの死」「情死」「横死」「決闘死」そして「ピエタ」「キリストの昇天」と掲載される。さらに頁をめくると、編集者一同による「『血と薔薇』宣言」があり、つづいて巻頭文として三島の「All Japanese are perverse」(すべての日本人は性倒錯者である:筆者訳)が掲載されている。三島はここで人間の性愛形態を異性愛、同性愛、サド・マゾヒズムと3つにわけ、さらに「fellatio」行為に11種にも及ぶ心理形態を分析し、特にサド・マゾヒズムにおける男性のフェティシズム(たとえば「自分を嫋々たる美少年と想像することによってしか、性的満足に達しないところの、五十歳の、醜く肥った禿げ上がった実業家」等の心理)に詩的普遍性を見出す。

 

「性愛における表象の優位はフェティシズムにつながるが、ほとんど男にしか見られぬこのperverseは、あらゆるperverseのうちでもっとも「文化的」なものであり、芸術や哲学や宗教に近接し、それらの象徴体系の隠れた基盤をなしている。(略)すなはち、表象は個々の対象の個別的魅惑から離脱し、ある詩的共通項(物象あるひは観念)を足がかりにして普遍性に到達し、しかも形容矛盾ともいふべき「フェティッシュな普遍性」といふ形態においてのみ源泉的な「肉の現実」の官能的魅惑をまざまざと現出せしめるのである。いはばフェティシズムは、冷たい抽象的普遍に熱烈な肉の味はいを添へるのだ。」

 

中学生のころには、おそらくこの文章は半分も理解できなかったであろうが、今から当時のわたしが抱いた性的妄想行為と詩的妄想行為の要諦を語ればこういうことになる。それにしても、冒頭の三島の恍惚殉教裸体写真とこの巻頭文を相互に眺めるとき、果たして革命期の“あの時代”の詩的表象として、これが冒頭にあるのはいったいどういうことだろうか。確かに当時の「性の解放」の気運もあろう。しかし、わたしにはこの三島の冒頭の写真と文からは、「解放」というより、どこか歪んだナルシシズムを内側へ閉じ込めて追い詰めているような感覚を覚える。

よく“あの時代”の象徴的事件として1970年の三島の自決がメディア等で取り上げられる。「血と薔薇」創刊の2年後である。少しまた話を個人的なことに戻すと、実はわたしの親の書棚には三島作品が多くあり、思春期にかなり貪り読んでいた。同時にわたしは三島作品の横にあったマルクス=エンゲルス『共産党宣言』を理解できないまでもかじり読みをし、レコード棚のビートルズのレコードを聞き、英米フェミニズム文学の諸作品を覗き見していた。つまり、わたしは何が右で何が左だかさっぱり分からない環境で育った。変な話に思えるだろうが、三島文学はわたしにとってかなり左派的印象が強い。『禁色』の同性愛物語や、『鏡子の家』の戦後復興期の若者の群像劇、戯曲『サド侯爵夫人』などは若いわたしには「反体制」そのものだった。だからその文学と極右的な自決行為が長くはっきりと結びつかなかった。もちろん、きちんと辿れば戦前の第1作『花ざかりの森』から、晩年の『豊穣の海』4部作ほか、評論「文化防衛論」や『葉隠入門』等で示される保守的思想は一貫している。あるいは戦前に詩人に憧れていたころの日本浪曼派との接点(伊東静雄、蓮田善明など)から、三島文学における保守美学とその「殉死」への必然的つながりは容易に読み取れるし、すでにあらゆる「文学研究」で述べ尽くされている。しかし、その実際の自決事件がもたらした社会的影響と、その文学作品がもたらした社会的影響の照応関係を正確に述べているものは皆無といえる。

 

 

三島事件 1970年(昭和45年)11月25日

 

 

 

 

なるほど三島の芸術至上主義ともいえる美学を愛する者からすれば、このような「社会的影響」などを持ち込むのはお門違いな稚拙な発想に過ぎないだろう。しかしわたしにとって三島文学、いや文学それ自体が、いくら本人が「芸術のための芸術」と述べようと、社会的産物であることに変わりないし、逆にもしいま三島由紀夫という作家があの自決事件の一点において右翼作家だと断定されてしまうなら、その文学作品すべてが一辺倒な価値観に縛られた社会的存在へと回収されてしまう。それでは困る。ひとりの作家が社会に誕生するとき、さまざまな社会的影響に貫かれて誕生しており、またその作品はさまざまな社会への影響をもたらす。当然社会とは個人個人の集合であるから、作家や詩人は一種の社会と個人との影響関係の網目に立つ媒介者ともいえる。それは親がわたしを産み落としたことが、いくら個人の性的営みであろうと、結果的に親世代のさまざまな文化を子に伝え、子が社会的存在へと成長することと同じであって、だからわたしはいまこの三島的なる「詩」とは何だったのかを「社会」との関連で捉え直してみたいのである。

とはいえ、この三島問題は、もしかしたらわたし個人の「詩」の大問題に発展するかもしれないと危惧をも抱く。しかし入っていこうと思う。人によって三島好き、嫌い、は当然あってよい。わたしは好きであり、また嫌いであるから。むしろこの「好き・嫌い」という感覚をしっかり掴みつつ論理として思考していきたい。

 

中村剛彦(なかむらたけひこ) 1973年横浜生まれ。『壜の中の炎』(ミッドナイト・プレス、2003)、『生の泉』(同、2010)。midnight press WEB副編集長(2017.3月まで)。

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