Poetry Review16

「とと姉ちゃん」と禁制の詩

三好達治から三島由紀夫へ

中村剛彦

 

 

乳母車  三好達治

 

母よ

淡くかなしきもののふるなり

紫陽花(あじさゐ)いろのもののふるなり

はてしなき並樹のかげを

そうそうと風のふくなり

 

時はたそがれ

母よ 私の乳母車を押せ

泣きぬれる夕陽にむかつて

轔々(りんりん)と私の乳母車を押せ

 

赤い総(ふさ)ある天鵞絨(びろおど)の帽子を

つめたき額(ひたひ)にかむらせよ

旅いそぐ鳥の列にも

季節は空を渡るなり

 

淡くかなしきもののふる

紫陽花いろのもののふる道

母よ 私は知つてゐる

この道は遠く遠くはてしない道

 

 

いまは六月、雨露に濡れた近所の林道を歩くと、紫陽花が各所に咲き乱れ、あたかも異界に迷い込んだかのような思いがする。紫陽花はわたしの記憶の底に封印した痛々しい哀しさを呼び覚ます。ある人との別離の記憶、それはわたしの「詩」を今日まで導いている。若いころ、紫陽花の咲きみだれる山寺へひとり旅に出たのを思いだす。あのとき持参したノートは得体の知れない、欲望と怒りと狂いとが混じった酒臭い詩で埋めつくされた。いまも六月の紫陽花は私の首根っこにキリキリと記憶の針を突き刺す。その痛みの快感を味わいに、わたしはこの季節、よく林道を散歩する。

上掲の詩「乳母車」は三好達治の代表作である。昭和5年(1930年)刊行の詩集『測量船』に収められている(初出は大正15年〈1926年〉)。この薄暗い「母」なる存在への希求は、30歳にならんとする詩人が書いたものであるが、わたしの個人的な「喪失」の痛みの記憶とも重なり、味わい深く読む。

しかしわたしは三好達治という詩人にそれほど入れ込んだことはない。わたしにとって三好達治は、戦後、鮎川信夫や吉本隆明が文学者の戦争責任論の俎上で徹底批判したことから、日本現代詩史上の大罪の烙印を押された詩人として、また萩原葉子が『天上の花』で描いたDV(ドメスティック・ヴァイオレンス)を引き起こした病んだ怪物詩人として、ただただ薄暗い印象しか持っていない。よってこの名詩ともよべる「乳母車」は、あたかも冷たい牢獄で痩せきった詩人が鉄格子に向けて言挙げしたような印象をわたしに齎し、またわたし個人の罪意識を呼び覚ましてしまうのだ。

 

 

 

しかし最近、わたしはあるテレビドラマでこの詩が朗読されるのを観て、一度読み直してみる必要があると考えた。というのも、前回、三島由紀夫の《詩意識》から、「戦前」、「戦中」、「戦後」、そして「現在」を貫く「詩と社会」の関係と、その裏側の「詩と純粋性」の関係をオウム問題や、昨今のテロリズムの問題と絡めて捉えようとしたが、そもそも、わたしのような戦後の経済大国日本で生まれ育った平和ボケした人間が「戦前」だとか「戦中」、「戦後」だとかについて何を語れるか。もう一度己の弛みきった姿(精神)を鏡に写し、「お前のいまある位置、いまある等身大の姿勢からものを述べよ」と自問自答しているからである。このようなとき、テレビから突然聞こえてきた三好達治の薄暗い詩に触れ、なるほど、いま、この時点で一般大衆に向けて描かれる「戦中」の詩とは何であるかが端的に示されたと思えた。まずはここからはじめるのが良いだろう。

 

そのテレビドラマとは、いま高視聴率を維持していることで話題のNHK朝の連続テレビ小説「とと姉ちゃん」である。毎回見ているわけではないが、主題歌を歌う宇多田ヒカルの久々の美声に耳を奪われつつ、ときどき見ている。

少しこのテレビドラマについて解説すると、主人公のモデルは昭和20年の敗戦の翌年に「暮らしの手帖」を創刊した大橋鎭子である。いま現在放映されている時代は、戦中の昭和10年代半ば、「国家総動員法」(昭和13年)が発令された時期で、大橋が少女時代から20代前半までのときを描いている。大橋の父(とと)は若くして死に、大橋は父(とと)の代わりに母と姉妹二人を養うべく、一家四人の貧しい間借り生活のなか懸命に働いている。おそらくこれから戦争末期の悲惨を乗り越え、戦後の出版界に新風を巻き起こし逞しく生きていく大橋の姿が描かれるに違いない。いわば、この大橋=とと姉ちゃんの物語は、いまの厳しい格差社会のなかで生きる女性たちへのまさにエールである。

では、その「とと姉ちゃん」のなかで、三好達治の「乳母車」がどのように朗読されたかというと、具体的にはほんの1分程度のシーンでしかない。大橋の文学好きの大学生の妹が文学青年と恋に落ち、彼の誘いで参加した大学構内での詩の朗読会で、ひとりの女子学生が朗読していたのである。なんとその朗読会は三好達治の詩を学生達がそれぞれ交代交代に読んでいくというもので、その最初のシーンで「乳母車」が読まれていたわけである。つまりこのドラマで描かれた「戦中」において、三好達治は若者たちの憧れの、高名な詩人なのである。

果たしてこれが史実に基づいたエピソードなのかはわからないが、脚本家西田政史はじめドラマの演出家たちは、それなりに時代考証をして戦時下の若者たちの文学生活の一端を描いているにちがいなく、わたしは久々にひとりの若い女子学生に朗読されたこの「乳母車」を聴き、妙に気分の悪い思いがした。なぜならその朗読の声が、三好の詩が放つ薄暗さをまったく欠いた、非常に爽やかなものであったからである。そして、気分が悪いながらも、この詩はやはり「名詩」だと思わずにいられなかった。いったいどういうことなのか。これまで嫌厭してきた罪過塗れの詩人の詩が、ひとつのドラマの演出により一瞬で良い詩に変転してしまうことの奇妙さは何か。果たして「乳母車」ははじめから「良い詩」であって、わたしの目が戦後詩の文脈のために曇ってしまっていたのか、あるいは、ドラマの演出が単に爽やかであったがために、錯覚として詩が良く見えたにすぎないのか。それだとしたら、わたしの詩を読む力とは、たかがその程度の、他者の批評や演出で左右されるが如き軽薄なものなのか。これは極めて重大な問題なのである。

 

 

中村剛彦(なかむらたけひこ) 1973年横浜生まれ。『壜の中の炎』(ミッドナイト・プレス、2003)、『生の泉』(同、2010)。midnight press WEB副編集長(2017.3月まで)。

ブログ:http://takeandbonny.tumblr.com/

プロジェクト「死んだ目」:http://the-dead-eyes-project.tumblr.com/

 

 

 

 

copyright © 詩の出版社 midnight press All rights reserved.