ここでさらに面倒なことを考え始める。いったいこの存在論とはなんだ? 「存在」を「論ずる」とはなんだ? そもそも「存在」とはなんだ? 己の存在の実感などは、あらゆる行為の「その後」に思い出す記憶のみが頼りに過ぎない。たとえば、「いまわたしはカレーを食べているから存在している」という実感による存在把握など、カレーを食べているその瞬間にはありはしない。たいていは、カレーを食べたその後に、家に帰って眠るときに「ああ、あのカレーはおいしかった」といった自身への事後報告をツイッターなどの社会システムツールにあげることによって成立する。結果、「みてみて! 今日もおいしいカレーを食べたわたしが中村剛彦です」というように他者への承認欲求によって存在把握がなされるのである。もしカレーを食べた後に家に帰れず、ツイッターも開かず、帰り道に信号機の故障で交通事故に会い昏睡状態に陥るならば、わたしの存在は、カレーを食べた「その後」に把握する存在ではなくなり、信号機の故障という社会システムのエラーによって無記憶の別の存在になる。このようなことがいつ起こってもおかしくない。
こう考えていくと、実感を根拠にした「その後」の自己承認の存在把持と、その存在把持が「おかしい」と常に考えるもうひとつの己の存在把持は、すべて社会システムのノーマルとエラーの間で行き来するだけの、行為「後」の記憶を軸とする存在の二面性であるに過ぎないと思われてくる。よく記憶喪失者の物語が作られるが、それは記憶によって形成されたアイデンティティーを失った、何者でもない存在という奇妙な感覚を、われわれはどこかで感じとっているからである。
リルケの凄まじさと危険さはこの「記憶」を媒介としないところにある。己の行為の「その後」の記憶によって成立する存在把持など微塵もなく、ただそこに記憶抜きに「ある」ものの空無を押し開き、それ自体の噴水のごとく生起する動的静的運動にのみ存在理由を託す。それは人間にとって記憶からの解放によるエクスタシーをもたらすとともに、記憶化=社会システム化されなくてもよい存在の屹立を宣言することでもある。ここからわたしはファシズムまであと一歩と思うのである。
ここでようやく、この連載のテーマである三島由紀夫のファシズム論を引いてみる。
「二十世紀初頭の西欧には、ニヒリズムによる反理知主義の風潮が滔々(とうとう)たるものがあった。これにおもねって世に出たのが、フロイドであり、ファシズムである。その先駆者がニイチエであった。
ヘルムート・ティーリケによれば、無の絶対化によってニヒリストは、自我崩壊と世界崩壊に直面し、機械の一つの歯車にすぎなぬところの職務実行者(フンクテイオネール)に自らをおとしめ、かくてファシズムの受入態勢をつくった。しかしファシズムにとっては、かかる羊のような麻薬常習者よりも、ニイチエの亜流のほうが利用しやすかったにちがいない。いわゆる能動的ニヒリズムの一傾向が、ファシズムを志向したのである。
ニヒリストは世界の崩壊に直面する。世界はその意味を失う。ここに絶望の心理学がはたらいて、絶望者は一旦自分の獲得した無意味を、彼にとっての最善の方法で保有しようと希(のぞ)むのである。ニヒリストは徹底した偽善者になる。大前提が無意味なのであるから、彼は意味をもつかの如く行動するについて最高の自由をもち、いわば万能の人間になる。ニヒリストが行動を起すのはこの地点なのだ。
(略)
ファシズムの発生はヨーロッパの十九世紀後半から今世紀初頭にかけての精神状況と切り離せぬ関係を持っている。そしてファシズムの指導者自体が、まぎれもないニヒリストであった。日本の右翼の楽天主義と、ファシズムほど程遠いものはない。」(「新ファシズム論」『小説家の休暇』、新潮文庫所収(P173-175)、初出『文学的人生論』河出書房、1954)
この三島のファシズム省察は、おそらく当時の左派知識人一般が三島をファシストとみなしたことへの返答であるため、やや性急な論理展開であることは否めないとしても、わたしは相当な省察力だと考える。三島もリルケ的精神を若き日に胚胎させ、その後、リルケ的世界と決別した小説家であるが、ここに書かれた「能動的ニヒリズムの一傾向が、ファシズムを志向した」という言葉にわたしは注目する。
とかくわたちたちはナチズムの病理が、ハンナ・アーレントが述べたところの「悪の凡庸」によるものという認識を常識として持っている。「アイヒマン裁判」で示された元ナチ親衛隊の無意志の、ただ上司の命令に従っただけの思考停止の悪、現在もわたしたちが会社勤めをしながら身を浸している悪と同じであると考え、自らの内なるファシズム萌芽への抑止をする。
しかし、この三島の示したファシズムの萌芽は違う。アーレント的ファシズム理解は、三島が述べるところの職務実行者(フンクテイオネール)の悪であるが、三島は「ニイチエの亜流」としての「能動的ニヒリズム」こそがファシズムが利用したものであると書く。これはどういう意味か。引用した後段をもう一度読まれたい。
「ニヒリストは世界の崩壊に直面する。世界はその意味を失う。絶望者は一旦自分の獲得した無意味を、彼にとっての最善の方法で保有しようと希(のぞ)むのである。ニヒリストは徹底した偽善者になる。大前提が無意味なのであるから、彼は意味をもつかの如く行動するについて最高の自由をもち、いわば万能の人間になる。ニヒリストが行動を起すのはこの地点なのだ。」
リルケが生きた時代、それは世界がはじめて大量破壊兵器を生み出し、第一次大戦(1914-1918)に突入した時代であった。リルケ自身、戦場にこそ赴かなかったが、兵役を体験し、世界崩壊を目の当たりにした。上に引用したリルケの詩は第一次大戦前(「薔薇の内部」は『新詩集』(1907)所収、「噴水」は同時期の詩集未収録の詩)で、あの「マルテの手記」(1910)もすでに書き継がれていた。つまりマルテがさまようパリはもはや「花の都パリ」でなく「死の都パリ」であり、己の「生」が「死」に染まっていく時代、存在それ自体が空無になり、虚無主義(ニヒリズム)が蔓延する時代であった。このとき、その時代に自己の存在を屹立させるものは何か。
中村剛彦(なかむらたけひこ) 1973年横浜生まれ。『壜の中の炎』(ミッドナイト・プレス、2003)、『生の泉』(同、2010)。midnight press WEB副編集長(2017.3月まで)。
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