空室
柴田千晶
水がゆれて
浮かびあがる古い人体図
女の体内が
月にひらかれ
肉の
血の
骨の
昏さを夜に晒している
*
井の頭線神泉駅前のマクドナルドで、<彼女>がいつも立っていたという道玄坂
地蔵の場所を尋ねる。
──三月に、この辺りのアパートの空室で女の人が殺されていた事件、覚えてる?
──……?
アルバイトの女子高生は曖昧な笑顔を浮かべ小首を傾げている。
──その人が立っていたという……お堂が……円山町のどこかに……在るはずなんだけど……。
独り言のようにそうつぶやき、私は店を出て、ふと目に付いた狭い急階段を上ってみる。
ホテルペリカン……フェンシング練習場……道玄坂地蔵……道玄坂地蔵……と唱えながら迷路のように入り組んだ路地を歩く。ローソンの袋をぶら下げて<彼女>が歩いたはずのこの路地は、どこか書割りめいている。細い坂を上りつめると四つ辻が現れ、円山町のホテル街に突き当たる。けれど<彼女>が立っていたというお堂は見つからない。四方に延びた路地のどれかを、あとは下るしかないのだ。諦めかけてふり返るとそこに、黒く濡れたように光る道玄坂地蔵が立っていた。
ここに立つと女はみな
同じ鍵穴のついた空室になる
値ぶみするような
男の視線に
まともにぶつかり
私は表札のない空室になる
*
立て続けに仕事が駄目になった。データーエントリーの単純仕事は、特別な技術がなくても出来る。二十五歳まで、と、年齢を区切られ、断られる。そのうちにお中元とお歳暮の仕事しかこなくなるかもしれない。パートのおばさんたちに紛れて、苦情の電話を受けるようになるのだ。
茅場町のコンビニで夏の新商品のリストを作成した。同じような商品名。中味もさして変わらないのだろう。昼休みは会議室の隅を借りて休憩をとる。新製品のトマト味のカップラーメンを配られるがあっさりとしすぎて美味しくない。
アルバイトの女の子たちはアパートの空室で殺されていたOLの話をしている。「わかるような気がする」だれかがポツリと言う。<彼女>が売春した気持ち。
霊岸橋を渡る。橋の名の由来はわからない。向こう岸に、死んだ人の魂がすだいているのかもしれない。
<わかるような気がする。私も──>
*
路上にしゃがみこみ
彼女は静かに放尿している
静かに
深部を絞り出している
(寒いわね)
と、彼女はつぶやく
(寒いわね)
と、私も応える
彼女の空室に
紙のような夜が
また
積み重なる
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