窓際の一分
長谷部奈美江
むかいの席の男のひとはタイ料理を食べながら
わたしのことを幸子だとか知美だとか
悪ふざけではなくて
「いいお天気だね」っていった次には
男のひとにとってわたしは幸子ではなくなり
知美や靖子になっているのだ
病気という言葉を使えば簡単だけど
男のひとはむかしはわたしの恋人で
いまだってその面影がある
広島の街の空気を吸えば少しはよくなるか
とも思ったけれど
窓の外を白い遊覧船が流れてゆくだけで
タイ料理がおいしい
しばらく心配そうに
わたしたちの方を見ていた男のひとの母親は
コーヒーを飲むことにしたようだ
知美にしても靖子にしても
男のひとの記憶にある女のひとで
年齢も関係もドレスの色もわたしにはわからない
でも男のひとはいい血色をしている
だって今でもコンピュータの修理なら天下一品だもの
なんでこわれちゃったのかな
わたしが他の男のひとを好きになっちゃったからかな
そんなのはしょっている考え方で
原因はアンナさんかもしれないし
上司や同僚もしくはアクシデントのせいかもしれない
食事がきれて
わたしが一人だけ知っている女のひとの名前をいうと
一分間だけ話が通じた
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