一月十四日、辻征夫さんが亡くなられた。創刊以来、小誌と厚意的につきあってくださってきた辻さんの突然の逝去は残念でならない。■辻征夫は、僕にとって、まずはなによりも詩集『いまは吟遊詩人』の詩人として記憶された。以後、「抒情詩人」辻征夫は、人跡未踏の詩の荒野をひとり歩んでいったのだと思う。最後の詩集に登場する「萌えいづる若葉と対峙して」いる「血まみれの抒情詩人」――。そこに、詩人の「ほがらか」な矜恃をみることができる。■いつだったか、新宿のバーで飲んでいたとき、ちょっとした言葉のいきちがいだったと思うのだが、辻さんが不愉快な表情をされた。この夜のことは記憶に残った。というのも、それ以後、辻征夫について、日本の現代詩についてよく考えるようになったからである。例えば、こんなとき、辻征夫だったらどう考えるだろうか、というように――。■そう、実際、僕はこの7号のためにひとつ原稿を依頼していたのだ。谷川俊太郎さんのプロジェクトによって制作されたCD『日本現代詩の六人』に辻さんが参加されたので、そのことについて書いてほしい、と。かつて、「私はいまだ衆目にさらして行う自作朗読ということができない」と辻さんは書いたことがあるが、このCDで九篇の詩を朗読した辻さんが、いま詩の朗読についてどう考えるのか、聞いてみたかった。■CDに収められた「突然の別れの日に」には、次のようなフレーズがある。「ああ今日がその日だなんて/知らなかった/ぼくはもう/このうちを出て/思い出がみんな消えるとおい場所まで/歩いて行かなくちゃならない」■辻さんだったら、どう考えるだろうか、と過ごす夜がこれからもあるだろう。だが、いまは?さんが「とおい場所まで歩いて行」ってしまったこと、そして残された者たちの悲しみを思うばかりだ。辻さん、ありがとうございました。■今号は増ページとなった。それぞれ充実したものをお届けすることができたと思う。また、新しくCD_ROMの制作を試みたが、その第一弾が完成した。その仕上がりを、ぜひ確かめていただきたい。(岡田)