病弱なデカルトは、ベッドに寝転びながら、天井をぐるぐる回るハエが実在するかどうかは疑わしいが、ハエが描いた円は実在すると考えたという。こういう話を聞くとき、まず思うことは、ハエと、ハエの描いた円とをそんなにはっきりと分けられるのかということだ。もとより、抽象は学問(科学)の方法であることは承知しているし、また、いまはそれについて論じる場所でもなく、論じる力もない。ただ、ハエと、ハエの描いた円との境界が見えなくなる場所に興味があるのだ。■……と、なにやらあやしげなことを書き始めたのには理由がないわけでもない。今号では二本の座談会を掲載したが、そこで期せずして浮かびあがってきたのは「詩人」という存在だった。小誌は「一篇の詩」を主題とすると、いつも書いてきたし、その考えに変わりはないが、「詩人」がいなければ「一篇の詩」が生まれることもない。「一篇の詩」と「詩人」とは、いってみればコインの表と裏のようなものではないか――。■五月になると、寺山修司を思い出す。とりわけ、彼が残した最後の詩「懐かしのわが家」を――。様々なジャンルを横断した末に、素手で「懐かしのわが家」(起源)へと遡行していく「詩人」の「夢」が語られるこの詩は、寺山修司が書いた最良の「一篇の詩」だろう。■「子供の頃、ぼくは/汽車の口真似が上手かった/ぼくは/世界の涯てが/自分自身の夢のなかにしかないことを/知っていたのだ」■この詩を僕は寺山修司の名前を離れて読むことはできないだろう。だが、たとえ読み人知らず(匿名者)の詩であろうと――そして、本来、詩はそのようなものであるのかもしれないが、それを書いた者がいなければ、我々はそれを読むことはできなかったのだ。名前があろうとなかろうと、少数者であろうと、「詩人」は存在するものである。「一篇の詩」が書かれる限り。■ゲラを校正しながら「詩の雑誌」の――「詩」の、「雑誌」の――これからを考えた。「一篇の詩」の生成の磁場を探し求める旅に終わりはない。 (岡田)