企画から校正まで、編集にはいくつかの段階があるが、いちばん好きなのは、心が落ち着くのは、最後の校正をしている時間かもしれない。校正とは、いうまでもなく、組まれた文字などの誤りを正すことが第一義ではあるが、ある意味では、それ以上に、「書いたもの(作者)/書かれたもの(作品)」と一対一で向かいあう時間でもある。■たとえワープロ原稿であっても、それを書いたもの(作者)の息遣いは文体や行間から伝わってくる。そのときの作者の体調といったものまでが意外とリアルに伝わってくることもある。そうやって、「書いたもの/書かれたもの」と無言で一対一で向かいあう時間は悪くない。■そのうちに、いつしか、いくつかの「書いたもの/書かれたもの」を並べたり、積み重ねたりしていることがある。そこから見えてくるものがある。それは確実に校了後の、次なる段階への動線を導くものである。いわば、そこでは――最後の校正の段階では――、編集発行についてのいっさいが集中的に実践されているといえるだろう。■仕事を終えて、川沿いの道を帰途につくとき、そのような時間がきらいではないことに、あらためて気づくことがある。そして、この川沿いの道のように、遠近法のよくきいた、奥行きが感じられる誌面がつくれたら……と思うのである。もとより、それは編集子ひとりの力で実現できるものではない。執筆者や読者の方々、そしてスタッフとのコラボレーションもまたパースペクティヴへの契機となるだろう。■体調をくずされて前号休講された川崎洋氏の「詩の教室」が無事再開されました。そして、創刊号以来の瀬尾育生氏の連載はひとまず終了します。瀬尾さん、ありがとうございました。「ネズミの歌姫ヨゼフィーネのように、すばらしいアリアが同時にたんなる『ちゅうちゅう』でしかないように語られなければならないのである」というフレーズは、たいへんに示唆的ですね。また、今号から松本亮氏の「素顔の金子光晴」が開始される。ご期待ください。(岡田)