詩の雑誌13号 | |||
|
|||
主な内容 2001年秋13号(2001年09月5日発売)内容 |
|||
「われ正路を失ひ、人生の 旅半にあたりてとある暗き林のなかにあるを知りたり」(ダンテ『神曲』、山川丙三郎未刊改訳版による)。炎天の下、 事務所に向かう道すがら、ふとダンテの一節がよみがえる。この「われ」とは、いったい誰だろう。││まず第一には、ダンテ・アリギエーソその人に相違なかろう。だが、いま、この炎天下を歩いている自分かもしれない……。いや、それよりもふさわしいのは、日本の詩かもしれない。■「日本の詩の傳統はと見ると、余り豊富だと云ふことが出来ない」と書くのは、一九三四年の中原中也である(ここでいう日本の詩とは、「明治初年井上博士に依って新体詩と銘々された。泰西の詩を見てから後の詩のことを云ふ)。「短歌や俳句がちゃんとした娘ならば、詩の多くは云ってみればおひきずりであった」。「『傳統がない』、謂はば『型がない』と『見本がない』といふやうなこと程、詩人にとって辛いことはないのである。詩人が辛いばかりではない。讀者も亦辛いのである」(ただし、「茲で『型』といってゐるのは決して詩の造形を云ってゐるのではない)。そして、「現今詩人達が明治・大正の遺産だけで間に合はす傾向があるのに反し、何しろその見本は身邊に乏しかった明治の詩人は本場のを勉強し活氣を持ってゐたと考へられる」とも。■引用がうるさすぎたかもしれないが、二〇〇一年の夏、中也の・詩とその傳統・を読んでいると、・とある暗き林のなかにあるを知・る・われ・がいるのである。……と、ここまで書いて、これ以上書くべきものはないことを知る。この炎天下、目に見えるのは、遠い道ばかりである。小誌もまた、遍歴の旅に出よう。■福間健二氏の「詩は生きている」は筆者の都合で休載させていただきました。(岡田)
|