詩の雑誌14号 |
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主な内容 2001年冬14号(2001年12月5日発売)内容 |
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暦の上で二十一世紀を迎えたとき、新しい世紀を迎えたという実感はなかったけれども、二〇〇一年九月十一日を過ぎたいま、新しい時代(歴史)を生き始めたことを実感しないわけにはいかない。 僕は、二〇〇一年九月十一日に起きたことについて語る力量がない自分というものを知っているつもりだが、その上で考えると、いま、我々は奇妙な情況のなかにあるのではないかという思いから逃れられない。性急な判断を誘惑される一方で、判断停止の隙間に落ちることを強いられるような情況…… いずれにせよ、生の実践が、歴史を生きる我々一人ひとりの課題として立ち上がってきたのだと思う。 あらためて思い起こしたのは、ジュゼッペ・ウンガレッティの言葉である。 「まさに詩だけが・・私はそれを恐ろしいまでに学び取ってきた、そして身に滲みて知っている・・わずかに詩だけが、どれほどの悲惨が押し寄せてきても、自然が理性を支配しても、人間がおのれの作品をかえりみなくなり、たとえ・元素・の海に漂っていると誰もが気づいたときにも、まさに詩だけが、人間を回復できるのだ」 「まさに詩だけが、人間を回復できるのだ」 ・・この言葉を単純に受け取ってはいけない。ここに集約された「ある男の生涯」の実践はまた我々一人ひとりの実践でもあるのだから。■川上春雄さんが亡くなった。残念である川上さんといえば、吉本隆明氏の『初期ノート』・・とりわけ、「過去についての自註」・・や、『吉本隆明全著作集』が思い浮かぶのはいうまでもないが、吉本さんの『なぜ、猫とつきあうのか』(小社刊)は、川上さんなくして生まれることはなかっただろう。いまも、受話器の向こうから川上さんの声が聞こえてくる。二度ほどお目にかかったことがあるが、酒を飲みながら会津の男を語る川上さんは楽しそうであった。朴訥な語りの奥に秘められた剛毅な精神。氏はまことに会津の人であった。吉本さんの資料集の連載を約束されてもいたのだが……。心から御冥福をお祈りします。■これまで1折は活版で組んできたのだが、それも今号で最後となる。鉛の活字の美しさ、強さを愛するものとしては残念である。共信社印刷所の柏原社長とはじめてお会いしたのは、まだ二十代はじめの頃であった……。長い間、ありがとうございました。(お)
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