誌の雑誌 midnightpress 29
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2005年 秋 29号(2005年9月5日発売)



【主な内容 】

●詩作品 鈴木 漠 天沢退二郎 川田絢音 岸野昭彦 久谷 雉 近澤有孝 元山 舞 タケイリエ 田中エリス 中村剛彦 井坂洋子 松下育男 岩木誠一郎小詩集 
●連詩 「白い凪」FARM
●国なき「エスペラントの民」の詩人
ウィリアム・オールドの詩 訳・解説 臼井裕之
子どもの種族・第一章 酔っ払い

●poetic dialogue瀬尾育生×稲川方人「回収されないことば(たち)」
●連載対談25 谷川俊太郎+正津勉 ゲスト/山本真弓
「超えていくことば(たち)」

 

●詩が生まれるとき/ところ
未来にむかって  福間健二
すでに“そこ”にあるもの  日和聡子
詩が生まれる場所  高貝弘也
余韻と波動——詩の前後  小池昌代

●詩の教室 高校生クラス・清水哲男 一般クラス・松下育男
●連載  井上輝夫 ハルノ宵子 高取 英 佐々木安美 小林レント 八木幹夫 マツザキヨシユキ 根石吉久 松岡祥男  

■表紙タイトル文字/谷川俊太郎
■表紙「夢の牛」・目次・本文イラスト/永畑風人
■表紙・目次デザイン/片山裕
■写真 野口賢一郎




小誌は、一九九八年秋に創刊された七年が過ぎたことになる。一九九八年は、「『これぞ』という特徴のない年である」と、橋本治は『二十世紀』のなかで書いている。「掘り出せば重要なことが発見できる年だが、そのままにすれば、『いろんなことがあった』で終わってしまう、雑然たる年である」とも。「雑然たる年である」とは、奇妙にリアリティのあることばであるが、もっとも、これは一九九八年に限られたことではないだろう。だが、しかし、二〇〇五年の風景が、一九九八年のそれとは画然と異なることもまたほんとうのことである。■詩とはなにか——? この詮ない問いを何度繰り返したことだろう。詩は、世界を記述することではない。世界を実現することである。では、世界とは?■山本真弓氏をゲストに迎えた谷川俊太郎・正津勉両氏の連載対談「超えていくことば(たち)」では、いま私たちが生きる世界の像が立ち上がってくるようで、あらためて、ことばについて考えさせられた。そこで話題になったエスペラントの詩人、ウィリアム・オールド氏の詩を臼井裕之氏の訳で紹介することができた。併せてお読みください。■瀬尾育生・稲川方人両氏の対談は、「早わかり戦後詩/現代詩」的なところがおもしろく、現代詩を再考する上で貴重なレファランスとなっている。■30号を前にして、ブレイクスルーしなければ……という課題がないわけではない。光の見えない時代ではあるが、一歩でも前に進むように意識の変革を試みていきたい。■以下、新刊のお知らせをいくつか。大澤恒保氏の『つながって』は、小誌で「高崎通信」として連載されていたものを一冊にまとめたものである。「生きて在る」ことのなんたるかを知らされるもので、多くの人に読んでいただきたい。小誌で「詞(ことば)がおしえてくれたもの」を連載しているマツザキヨシユキ氏の『バスに乗ったら遠まわり』は著者四半世紀ぶりの詩集である。旧知の人の詩集を刊行できて感慨深い。そして、九月、山本小月(さつき)の『魂は死なない、という考え方』を刊行する。詳しくは、左の広告をごらんください。(お)

 


詩作品のなかから


桃源  ——an eclogue

鈴木 漠


ひとすじ鋼(はがね)のように光るのは川
田園のもの憂さとアンニュイ
を両断して流れる 波とは水の皮

忘れられた村落の習俗と結(ゆい)
共同幻想体の藁屋根へ抛げる乳歯を
守護霊と祀られて祖霊達は面映ゆい

造化の神々から預かる言葉の地の塩
花咲く果樹を守る園丁たらんと
庭訓は訓じているのだ 一入(ひとしお)

絶えず湧き出る泉の声のイノセント
ちよよ ちよよと懐かしい音符を生み
記述される叙事詩の 断片(フラグメント)

詩人は予感せざるべからず 左見右見(とみこうみ)
誤謬をも恐れぬ予言こそが求められよう
田舎娘のような桃の花の風情と香味

万物は流れてやまず その流水文様
水車の軋む音は輪廻転生の暗喩(メタファー)だろう
太陽と月とが相互に及ぼす遠隔作用

青い宇宙は遊星たちの過ぎる回廊
一幅の風景画に描き込まれる桃源郷を
既視感と映して走馬灯は移ろう

過去から未来へ堰を跳ねる若い魚(うお)