誌の雑誌 midnightpress 31号 |
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2006年 春 31号(2006年3月5日発売)
【主な内容 】 ●詩作品 飯島耕一 浮海 啓 川田絢音 橋本真理 飯島 章 ■表紙タイトル文字/谷川俊太郎
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ある日——たとえば真昼の街を歩いているとき——、ふと、「知る」ことのむなしさに襲われるときがある。「知る」ことが、ついに越えられないことであることを「知る」とき……。「知る」ことが、不可避的に迷妄を孕むことを「知る」とき……。「あらゆる音を聞いたと君は言う。君の鳥はスウィングすることができると——。でも、君には僕の声が聞こえないんだね」とは、まさしくこのことだったかと、あらためてザ・ビートルズの、ジョン・レノンの「そして、君の鳥は歌うことができる」(And your bird can sing.)を聴きたくなる。■こういってよければ、小誌の「第一期」は終わったのだと思う。——と、前号(30号)の後記で書いたが、自らあらためて確認するまでもなく、意識は「第二期」を動いている。この動きが今号(31号)の誌面にどれほど反映されているか、それを知ることはできないけれども、いまは、時間をかけて、かたちにしていければと考えている。■桑原滝弥、馬野幹の両氏をゲストに迎えた、谷川俊太郎・正津勉両氏の連載対談、そして、鈴木志郎康の論攷「『書き言葉』を生きる」から感得されたのは、鈴木氏のことばを借りるならば、「詩の抜け殻」から、「詩の実質」へとたどる途であった。「詩とは失われることである」(鈴木志郎康)——、このことばを熟読玩味したい。そして、今号から沓掛良彦氏に新しく連載をお願いした。氏の『讃酒詩話』は、わが愛読書のひとつである。ご期待ください。■思索に裏打ちされた詩作、詩作に根拠づけられた思索、それだけが詩の途をひらいていくことだろう。最近、北川透氏が次のように書いているのを目にした。すなわち、「同質性が常に異質なものに脅かされる環境を維持するためにも、反時代的な宿命を生きる詩人の存在も悪くない。しかし、それは同質性の裏側に張り付いた物凄いフィクションなのかも知れない」と。文藝が不可避的に孕む「反時代性」もまた、「第二期」の主題のうちにあるだろう。■マツザキヨシユキ、八木幹夫両氏の連載が終わり、稲川方人氏の連載が始まる。これからもたえず、「詩」の、「雑誌」のなんたるかを考えていきたい。(お)
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