「俗気」の詩学 しかし本稿にとって更新も再出もともに逆説の謂いでしかない。その逆説の頂点に立つのが島崎藤村である。頂点は、「頂点」の使われ方を含めて大詩人のお墨付きである(註一)。研究史上でも盤石である(註二)。その藤村は、「詩人の再出」の「再出」を「若菜」に籠めた(ただし裏籠め)。『若菜集』を詩論として読めば、上掲「叙情詩人」の続きも可能ながら、ここでは一つの同時代評の前に立つ。リアルすぎて息をのむ思いである。あるいは言葉を失う思いである。その同時代評とは、次のとおりである。

 

新体詩を眞面目に作る者は藤村なり。新体詩の詩想に俗氣を脱したる者は藤村なり。新体詩の字句の散文的ならざる者は藤村なり。若菜集収むる所長短数十篇盡く棲楚哀婉紅涙迸り熱血湧くの底の文字ならざるは無し。(正岡子規「若菜集の詩と畫」(『日本』明治三〇年九月二七日)(傍線引用者)

 

冒頭部である。息をのむ思いに言葉を詰まらせたのは、この「俗気」のわずか一言である。加えて相手が正岡子規であったことである。二重絶句である。もしこれをさすがに子規と、気が利いた一言だとするなら、筆者のショックは分かってもらえない。なぜなら、子規にとっては〝その程度のことだったのか!〟と思い知らされたからである。「俗気」のわずか一言で、新体詩がまるごと総括されてしまう。しかもいとも簡単に。あっさりと。切れのいい俳句を聞かされたごとくに。

そんなに深刻に考えることはない。子規にせよ思いつくままに口を衝いて出たにすぎない。考えすぎだ。言われたた筆者は、さらに暗澹たる思いに陥らざるをえない。なぜならたんに子規の一言が衝撃的だったからではない。その程度だったのかとは、「叙情詩人」の対新体詩へのそれだったことに気づかされたからである。

むしろ実感としては、ショックは子規にあるのではなく、子規の言葉が一点突破となってしまったそのことにある。実際、以下に続く子規の評言は鋭いのである(註三)。だからこうも考えられるのである。彼等の詩論の程度を予め見越していたのだと。その結果としての用字・用法だったのだと。だから端無くも子規に教えられたのである。詩論的止揚などという手合いのものではなかったのだと。実に〝呑気〟なものだったのだと。

そう思ってあらためて頁を繰れば、たしかに肝心なことはほとんどなにも書かれていない。詩がそうであるうように文飾だらけである。少し書かれていても既読感の漂うもの、あるいは通り一辺なものばかりである。これは詩学でも詩論でもない。たんなる前書きならぬ前置きである。「歌へよ、吾國民。新体詩は汝のものとなれり」(独歩)の掛け声の、あるいは「かくてぞ諸氏の詩は成らん、かくてぞわが清新なる明治の詩調は成らん」(花袋)の自己陶酔のための。

藤村はそこまでは言わない。言わない分、作品にまわす。でも後年こう言う。「兎も角も自分等は、先の人の歩いて行つたあとを離れて、自分等の道を踏み出さう、そんな心持で書いたものばかりです」(「『若菜集』時代」大正一四年)と。ここにあるのは「兎も角も」の思いしかない。それをしも「詩論」というなら、やはり鵜呑みにしたままでは終えられない。いかに「生気」に満ちたもの、ときには「血気」に駆り立てられるものであったか、新体詩人の詩的営為を内側に入って再述しなければならない。

 

 

(註一)大詩人による詩史上の評価としては、「日本新詩草創期の統一者、新抒情詩時代の標幟、島崎藤村の処女詩集『若菜集』」あるいは「些か稚く単純だとは言つても、かかる純なる曙の抒情詩はあらゆる複雑期の詩風の源泉であり、心の故郷でなくてなんであらう」の北原白秋(『明治大正詩史概観』昭和四年)があり、「以上に縷説した詩情詩美の巧みと冴えとの表はす通り他の何人にも卓れて當代感情の代辦であり、次なる時代への教本であり、明治中期の國民感情の美しい頂點を示した雄篇であつたことは何としても爭はれない」の日夏耿之介(『改訂増補 明治大正詩史』昭和二三年)がある。

(註二)日本近代文学研究者の言に一、二拾えば、「明治の韻文はおよそ三〇年代を要してようやく新しい詩的地平にさしかかったと見てよいと思う」(野山一九八五、三七頁)、「近代詩史にとって『若菜集』上梓の明治三〇年という年は、新体詩が文学史上、市民権を獲得した意味で記念すべきものとされてきた」(同一〇一頁)があり、「島崎藤村によって、新体詩は漢詩から『詩』の呼称を奪い、近代詩として軌道に乗るのである」(勝原一九九六、五五頁)などがある。大方の見方であろう。ただし野山の場合、後者に限っては吉本隆明の反論を引くための前置きである。

(註三)全体としては『若菜集』の最初期の正統な詩学的批評である。次のくだりは一人藤村だけではなく、「叙情詩」全般に対する真実を衝いた批判的評言である。「藤村の詩皆叙情的なり。叙情或は詩の本意ならん。但叙景叙事を假らざる叙情詩は變化少し。蓋し若菜集一巻二百頁人をして讀まんとして讀み了らしめざる者此に因るか」あるいは「詩は情を歌ふ。哀は一なりに二様あるにあらず、喜は一なりに二様あるにあらず。然れども觸るゝ所の物、接する所の事に因て自ら趣を殊にす。藤村の悲哀は毎篇其趣を同じうす。是れ其觸接する所の事物同じきが爲ならん。叙情の外に叙景あり叙事あり。主観の外に客観あり。戀愛の外に忠孝友愛慈悲等あり。藤村は自ら劃する者に非ざるか」などである。

 

 

島崎藤村

壱 はじめ(いちはじめ)1950年生まれ。詩論集「北に在る詩人達」、音楽論「バッハの音を「知る」ために」など。ブログ:http://ichihajime2012.blogspot.jp/  ツイッター:https://twitter.com/hawatana1

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