5 詩人の誕生
「敗者」の詩情 創成期の日本近代詩は、中核にある者たちの内、「敗者」を間接に生きる者たちを括弧付きの「詩人」にし、直接に生きる者たちを括弧のない詩人にした。後者にあっては、詩人を生きる途を生きる途とし、詩人であることの意味を日々の自意識とした。つとに有名なのは北村透谷である。その決意表明については既に掲げた。彼だけではない。透谷との関係も深い外川残花も然りである。広く文学者(文士)にとれば、透谷との論争で知られた山路愛山も然りである。具眼の植村正久もその一人である。
彼らに授けられたのが等しく悲愴感である。個人的であると言うよりは全体的なものである。「詩情」への転換に対してはすこぶる直情的だった。「敗者」が許すものである。彼等の悲愴感の特徴は、そうなりやすい個人的抒情に終わらないことである。思想故であるというのでは、あらためて感性的なものでもあるというその時代的性格を説いたとしても、いかにも短絡気味である。むしろ「敗者」の人格を形成した点に注目すべきであるが(註一)、いずれにしてもその自覚が、現れ方は一律でないにしても、個人を離れることを好まない。許さないのを自らに裏書きして、激しさにおいても「壮士」に道を譲らない。それを含め「敗者」の詩情である。
(註一)この点を「挫折の系譜」として説く「討議」がある。「そういう気質(挫折感・注)みたいなものが、わりと旧幕臣的な、敗北感を持ったような文学の系列には流れている感じですね。『浮雲』とか透谷とか、そういうところにも割合つながっているのかという感じがする」。これは、『討議近代詩史』(思潮社一九七六)に参加した鮎川信夫・吉本隆明・大岡信の内の大岡信の発言である。
「敗戦者」の自負 「敗者」を「戦敗者」と呼んで立論するのは山路愛山である。愛山は、維新政府下の世を次のように「戦敗者」の自負を以って繰り返し説く。愛山もまた幕臣の子である(註一)。
維新の政府は新世帯の繰廻はしには新人物を要するの道理を知りしが故に人材の収攪に就ては固より宏量なりき。(略)然ど戦勝者が何程宏量を示すとも、彼等は遂に其自負を棄つること能はず。戦敗者はたとひ戦勝者より優遇せらるゝも猶ほ其自負を毀損せられたるの感なきこと能はず。戦争は既に過去の物語となりたれども戦敗者の心に負へる創痍は未だ全く癒えず。かくて時代を謳歌し、時代とともに進まんとする現世主義の青年が多く戦勝者及び其同趣味の間に出で、時代を批判し、時代と戦はんとする新信仰を懐抱する青年が多く戦敗者の内より出でたるは与に自然の数なりきと云はざるべからず。総ての精神的革命は多くは時代の陰影より出づ。(「精神的革命は時代の陰より出づ」)
これは、愛山が心血そを注いで著わした長大な『現代日本教会史論』(明治三九年)の一くだりである。さらに言う。
薩長氏は日本の歴史に於て素より大なる使命を有しき。されど彼等は今や其使命を遂げたり。而して所謂歓楽極まつて哀情多きの状なき能はざりき。而して戦敗者として社会の影に投げられたるものゝ子、若しくは之れと同臭味の或青年は眼を事業と功利の外に放つて日本の精神的革命に就きて前途の光を望みつゝありき。彼処には桃の夭々たる春光あり、此処には一陽来復を期する冬の野あり。余は此社会的対照を看過する能はざるなり。(「矛盾したる社会的現象」)
それぞれ別項目であるいるといえ、記述には同じ思いが貫徹している。自負心に溢れた時代的感慨である。ここに戦敗者に発する思想論を詩想に置き換える。そのとき、「時代の陰影」あるいは「冬の野」に萌すのが、すなわち植村正久の「詩情」である。その植村もまた戦敗者である。愛山は、同文に列挙する戦敗者の冒頭に植村の名を高く掲げる。「植村正久は幕人の子に非ずや。彼は幕人の総てが受けたる敗戦者の苦痛を受けたるものなり」と。正統詩人とは異なる「事業と功利の外」に身を置く者たち。その生の在り処。拠り所とする敗者観。あるいは「敗北感」。ここに在るのは、彼らを遠からず詩人にする「情」(後述)である。
(註一)その家は幕府天文方を代々勤める家柄で、父は上野の彰義隊に参加、後に榎本武揚に従って五稜郭で官軍と交戦後一時行方不明。山路家は大政奉還後徳川慶喜に従って静岡に移住。元冶元年(一八六四)生まれの愛山の人格は、旧幕臣の集どう静岡の地で形成される。以下、透谷と相識となるまでを略記すれば、二三歳で入信。二五歳で上京。伝道に従事する傍ら雑誌に文芸記事を寄稿。二八歳透谷を知る。牧師宅に居あわせた折であったという。さらに徳富蘇峰による追悼文の一節を参考までに掲げれば、「山路君は、享保、安永の際に於ける、数学の大家にして、明和年間、幕府の天文家に擢任されたる、山路弥左衛門主住の裔也。爾来彼の家は天文方を襲任し、其父に至れり。而して君は実に此の科学的知識の血液を、流伝したると与に、亦た幕府の瓦解と与に、精神的、生活的に、異常の影響を被れり。君は江戸に生まれ、静岡に成長せり。而して静岡に於ける君は、実に一般の失敗者の例に漏れず、否な其水平以下なる困苦を嘗めたり(以下略)」。(以上はともに『現代日本文学大系5』筑摩書房による)
山路愛山
壱 はじめ(いちはじめ)1950年生まれ。詩論集「北に在る詩人達」、音楽論「バッハの音を「知る」ために」など。ブログ:http://ichihajime2012.blogspot.jp/ ツイッター:https://twitter.com/hawatana1
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