詩味の〝純潔さ〟 一方が叙情に流れ一方が叙事に組み上がるのは、透谷の言を使えば「情熱の洗礼」が分かれ目となる。透谷も湖処子も共に「洗礼」を受けたキリスト教徒である。四年後に『若菜集』を刊行した藤村も若くして洗礼を受ける。藤村が進むのは、兄事した透谷ではなく、湖処子の道(叙情詩)である。しかしあえて叙情詩としたように藤村は「抒情詩」であることによってあらたな段階に至る。同時にその分、透谷からさらに遠ざかる。何が彼らを分けるのか。すでに範囲としては課題を超えるが、個人の資質・気質を超えて再び個人に還るものに目を向けることはすでに詩論の深化である。しかし今、触れられるのは、梅花への収束のためにも湖処子である。二人を分けるものに梅花が呼び戻されるからである。両者に同じ詩題(旅)を詠った詩篇がある。まずは湖処子から(上掲河出書房版大系)。

 

  小  川

 

長くもあらぬ秋の日は、

さすらふ程に暮にけり。

かゝやきたりし夕やけの、

空も漸くかすむなり。

稲をかりける賎の男や、

束を結ひぬる少女子が、

にぎはひたりし田も圃も、

夕になれば人もなく、

のこる烟を衾にて、

眠るすがたにさも似たり。

    野路の小川の水ばかり

    もの云ひつゝもながれゆく。

 

知らぬ旅路にゆきくれて、

宿かるべく思へども、

野なかの里のほど遠み、

しばし立ちよる家もなし。

鳥は林にかえれども、

我を塒にともなはず。

鐘は間ぢかにひゞけども、

見ゆるかぎりは寺もなし。

影さへそはぬ烏羽玉の、

闇夜にひとり迷ひつゝ。

    野路の小川の水ばかり

    たゆたひもぜず流れゆく。

 

あはれ小川よ汝がほかに、

道のしるべも今はなし。

いのちの水を汝が胸に、

くまぬ人とてあらざれば、

あはれ汝がゆく方にこそ、

家も里をもあるべけれ。

夜は闇けれど汝が聲を、

しるべにしてぞたどらまし。

    小川の水はさやさやと

    さそふ如くも流れゆく。

 

梅花の二年後の明治二六年に刊行した『湖処子詩集』の一篇である。同詩篇は後に『抒情詩』(明治三〇年)に細部に筆を入れ直して再録されるが、多くでひらがな化している。おそらく言い回しの変更と合わせて叙情化への潜航であろう。

 

 

ところで、透谷の言う反意的な「純潔」とは、同時代人にして同教者にもかかわらず、抱える詩情が熱血から遠くに佇んで生命感に乏しいことを指すのか。寡黙を言うのか。実は湖処子は、詩論にも寡黙である。その上での「純潔」である。なるほど湖処子のなす詩篇を「純潔」に祭り上げる族にとっては、透谷の「熱情」や「情熱」も、湖処子への批判もただの喧噪である。詩論は要らない。それが彼等の「純潔」である。なら梅花にはいかに応じてみせるのか。さしずめ嘲笑だろう。でも梅花はしめたりと、超然とほくそ笑むことになる。

 

 旅  烏

 

ふところ淋しき旅なれバ、

  むやみに先のみ急がれて、

一里も前途へ近かれと、

  勞れし足をバがまんして、

向ふの宿へといそぎつゝ、

  お日さま山邊に落ぬうち、

此の松原をとあせれども、

  わらじに喰れし足おもく、

並木のなからに日ハ暮て、

  夕月こだかくひんがしの、

はるかの峯をバ飛び離れ、

  見渡す限りのやまやまハ、

次第にすそ濃く靄籠めて、

  暮れたりたり急ぐとも、

今はた何にも甲斐ハ無し、

  脚絆の紐でも志めなをし、

ゆるりと宿まで歩まんと、

  おもふて倒れし松の木に、

腰打懸けんとするはづみ、

  草鞋のまへつぼ蹈切りぬ、

これハと顰めたその顔の、

  若しやハ可笑ありつらめ、

後よりつゞきて落葉掻く、

  熊手を肩げて來かゝりし、

田舎のむすめに笑はれぬ、

  よき機なれバと呼留めて、

ゆくての里数をうら問バ、

  顔をバあかめて口篭りつ、

返辭も爲し得でばたばたと、

  ほこりを蹴立て行き過ぬ、

折から浮雲むらむらと、

  月をバかくして暗けれバ、

日頃ハにッくき鳥なれど、

  今宵ハ折にやふれぬらん、

鳴くむら烏もあわれなり、

 

同篇は、詩集中「出放題」に後続する。あまり目立たないが、詩篇を流れるのは同じ諧謔的詩精神である。さらさらと流れる小川の立てる水音へと誘われる旅の風情に対して、梅花の「烏」。旅の風情と言うなら嘯くばかりの祭り上げ方である。烏も訝しく暗闇の地上の一隅に目を凝らすしかない。

いずれに詩情を感ずるべきか。詩の価値を見定めるべきか。娘との遣り取りを、笑われる形に引き寄せる叙事的な立ち位置(否座り位置)と、景色に遠ざけて「賎の男」と口唇に上せる叙情的な立ち位置と、いずれが「純潔」の衣を纏うべきか。なぜ「農の男」としないのか。詩情がそうさせるのか。でも人格ではない。問うのは、詩味の〝純潔さ〟である。言うまでもないと思うのは、筆者の偏向がなせるものの所為か。

 

壱 はじめ(いちはじめ)1950年生まれ。詩論集「北に在る詩人達」、音楽論「バッハの音を「知る」ために」など。ブログ:http://ichihajime2012.blogspot.jp/  ツイッター:https://twitter.com/hawatana1

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