6 詩人梅花の誕生
梅花の心底 かかる「純潔」を演じられる梅花とはいかなる詩人なのか。表向きで見てばかりでは資質、気質を合わせてともに過つ。諧謔的詩精神は、資質や気質もあろうが、それ以上に詩学が創ったものである。ただ本人が透谷のようには語らないだけである。それでも湖処子の寡黙とはまるで違う。作品が多弁だからである。だから我々は彼を作品の中で語ることができる(ただし今回はその一部)。
その梅花は、京を遠く離れて美濃は虎渓山の古刹に参籠の身となる。詩集発行の明治二四年三月を数か月遡る、明治二三年夏から秋にかけてである。彼の胸中を去来していたものはなんであったのか。言われる虚無感か(本間一九五一)。
身を潜め、潜めた分、言葉(詩語)によって想いを外に放つ。何のためか。より内に向かうためである。独自なのは内への向かい方である。これも一つの相対化である。しかし壮士詩人の揺るぎない即自化と結びつく相対化とは縁も所縁もないものである。異端詩人としても特異である。現実感覚に対して逸脱気味だからである。それだけではない。自己をも巻き込んだ逸脱である。逸脱のなかに佇む。佇んで高笑いして見せる。しかし誰に対する高笑いなのか。問いかけ自体もすでに笑いのなかか。
もし「《文学青年》の誕生」(大井田二〇〇六)と言うのなら、透谷ならいざ知らず、蒼白な悩める青年を思うのでは実相を見誤りかねない。あくまでも我々が知らない他者でなければならない。詳述は難しい。伝記が遡れないだけでなく、作品は作品で彼の同時代性を日常レベルでは説明してくれないからである。
それでもかりに明治三〇年に梅花を立たせたなら、想像されるのは、叙情を表看板にして涼しげに過去を清算したかのような者たちに対して、破顔一笑、その程度のことなのかとほくそ笑み、悦んで「敗北者」たる名誉を引き受けたにちがいないことである。「敗北者」の意味は熟知していた。その逆説的な使い方を含めて。だからその意味でも笑うしかない。再びの「アハゝ、アッ、ハッ、ハ」である。自分を否定する者たちへの先回りである。
諧謔の詩学 しかしそれは余談でしかない。高笑いのなかに潜んでいるのは、真摯な詩学である。詩集刊行の翌月坪内逍遥に宛てた手紙(明治二四年四月八日)にある、「固より文學は數奇の道にて候へば、如何なる處に身を置き候ても、廢する譯には参らず。殊に詩學は尚、熱心に研究致度」あるいは「最早小生今日の考は、只唯、世間流にして、最も凡骨に成度、毎日、器械的に仕事を致し候て、それで或る老境まで詩學研究仕度所存」の中の「詩學」である。日々の窮乏を背負い込むなかに仕事の斡旋を依頼したものである(本間一九五一)。そのなかの窮してもという詩学への決意である。「詩學研究致度」とは詩的営為への退路を断った決意表明である。
その一方では笑うのである。なぜか。苦笑でもあるからである。詩想の果てしないことを見通すからである。その引き替えに完結を見越せないからである。予測もままならない。高まる情感の落ち着き先を知らない。量れない。見通せないのである。行き先である作品の全貌がである。それでも先走る気持は押さえこまれるよりは解き放たれるのである。ときには放縦なまでに。新体詩が己に要求するのである。同時に拒否反応にも衝き動かすのである。新体詩の真実を知っていたのは彼である。
もし詩学故の高笑いと言うなら、限界と可能性を同時に背負いこむ、雙つ身の自分に向けられたそれであったにちがいない。そして、それを詩学に再び還すところに生まれたのが諧謔であるとすれば、これはシリアスに沈潜気味な新体詩が知らなかったもので、新体詩の詩想とは異質なものである。透谷と比べても、これは透谷の知らなかった諧謔性(相対化)である。頂きを見つめ続ける透谷にあるのは最初から最後まで絶対化である。誰をも寄せ付けないものである。相対化など最初から頭にない。
しかし梅花の相対化は、透谷が思い描いているようなものではなかった。対語を知らない、対語を退けるそれだった。むしろ自律化に近かった。それでも透谷のようには自己のなんたるかを量れずにいる。勢い梅花は借りる。他人を。そして他人の上に声を発する。一連の露伴子(幸田露伴)、春の舎主人(坪内逍遥)、竹の舎主人(饗庭篁村)、鷗外漁史(森鷗外)、古蒼楼主人(須藤南翠)を詩題に取った詩篇である。対自化である。それでも自己に帰着しない。言葉のなかに彼は彼を知らない。まるで時代が知らなかったようにである。
壱 はじめ(いちはじめ)1950年生まれ。詩論集「北に在る詩人達」、音楽論「バッハの音を「知る」ために」など。ブログ:http://ichihajime2012.blogspot.jp/ ツイッター:https://twitter.com/hawatana1
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