「白頭スイノウ…」という漢詩について教えてください。
- 久谷先生
HPを拝見し、ご指導をお願いしたくメールさせていただきました。
65才になり、白髪も増えて今日は腰痛で困っておりますが、子供の頃に
故郷で近所の家の床の間にかかっていた軸に漢詩(?)がありました。
その漢詩をご存知でしたら是非教えていただきたいのです。
それは、『白頭スイノウ赤心存』と読むのだとその家のおじいさんに
教えてもらい、『頭が白髪になっても腰が曲がっても、真心は健在だ』と
いう意味の詩(?)であると聞きました。その家も今は無人のようです。
最近になってそのことを思い出し、スイノウがどんな字を書くのか気になり、
調べてみましたがわかりません。読み方が正しいのかということも、
有名な方の詩なのか、そうでないのかも分かりません。
もし、ご存知でしたらお手数ですがご指導をよろしくお願い申し上げます。
(Y・I)
お答えします。お探しの詩は、唐代の詩人である杜甫の晩年の作品「承聞河北諸道節度入朝歓喜口號絶句十二首」の十一首めかと思われます。たまたま手近にあった昭和初期に刊行された「続国訳漢文大成」におさめられている「杜少陵詩集」(杜少陵というのは杜甫の別名です。吉川幸次郎氏の「杜甫私記」によると杜甫の先祖が「少陵」と呼ばれた土地の近くに住んでいたことに由来した名前だそうです)の鈴木虎雄氏の注釈では「河北諸道の節度が入朝すと承聞し、歓喜して口号せる絶句十二首」という書き下しと「いままで朝廷に反抗していた河北の節度使等が入朝する様になったと聞いたので喜んで口ずさんだ絶句十二首。大暦二年三月頃の作ならん」という題意が付されています。以下第十一首の全文および、鈴木氏による書き下し文です。
李相将軍擁薊門。 李相将軍薊門(けいもん)を擁す、
白頭惟有赤心存。 白頭惟(た)だ赤心の存する有り、
竟能尽説諸侯入。 竟(つい)に能(よ)く尽(ことごと)く諸侯に説きて入らしむ、
知有従来天子尊。 知る従来天子の尊有るを。
鈴木氏の解説によりますと、李光弼(りこうひつ)という唐の時代の宰相のことを書いた詩だそうです。特に今回問題になっている第二句については「彼の晩年は白頭の身を以て唯だ忠誠の丹心が存在するばかり他念はなかった」という解釈がなされています。これが正しいかどうかは判断の難しいところではありますが、ご質問にある「頭が白髪になっても腰が曲がっても、真心は健在だ」というおじいさんが口にしていた解釈とほぼ一致していますね。
さて、この「続国訳漢文大成」版の底本となっている、清の時代の仇兆鰲(きゅうちょうごう)という人が杜甫の詩に注釈をほどこした「杜詩詳註」という本をみてみたところ、二句目の「惟有」という字は本によっては「雖老」となっているものがあるそうです。どちらも「スイノウ」とそのまま読むことはできないようなのですが、「大漢和辞典」を引いてみたところ、後者の「雖」という字を「スイ」と読むことはできるそうです。そういうわけで、ご質問にある掛け軸にしたためられていたのは「白頭雖老赤心存」の方だったのではないかと思われます。「スイロウ」とおじいさんが言ったのを聞き違えたのか、訛りか何かがあってそう聞こえたのか。僕は専門家ではありませんので、正しいかどうか責任は持てないのですが「白頭老ゆると雖(いえど)も赤心存す」とでも読み下せばいいのでしょうか。
「白頭」は文字通り白髪頭のことを指すフレーズですが、このまま「白髪になった彼は老いたといえども云々」と訳してしまうと、どうも文としてのすわりがよくない。「白髪になった」という言葉ですでに「老い」が表現されているにも関わらず、わざわざ「老いた」と続けてしまうのはおかしい。そこでおじいさんは「老」を「腰が曲がっ」たという風に訳したのではないでしょうか。あくまで僕の想像に過ぎないのですが。
*今回杜甫の作品、および鈴木虎雄氏の校注からの引用はすべて新字・新かなに改めさせていただきました。