わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらつていかう
わたしたちがいつしよにそだってきたあひだ
みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびやうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまつしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
(うまれでくるたて
こんどはこたにわりやのごとばかりで
くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになつて
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ
八木さんによる「永訣の朝」朗読
やはりこの詩はいい詩ですね。胸を打ちます。ここにも方言がでてきますね。この賢治が聴いたであろう方言によるトシ子の「生の声」が自然なかたちで見事に詩に染み込んでいます。この詩はやはり賢治の頂点ですね。何度読んでも胸がふるえます。
実はこの作品ものちに賢治は手を入れて変えてます。最後の「天上のアイスクリーム」は、「兜卒の天の食」に変わる。仏教用語の「兜卒天」からきてます。でもわたしはこのままアイスクリームがいいんじゃないかと思います。東京にでてきて、当時新しかったアイスクリームを賢治も食べてるはずですし、トシにも食べさせたと思います。こっちの方が東京を感じさせるし、私は好きだなあ。
今日はこんなところでお開きとしましょう。ここからトシが卒業した日本女子大は近いようですから、ちょっと見てから駅へ戻りましょう。
(構成/中村剛彦)
付記
一九一八年~一九二一年(実質ほぼ三年間)の父親政次郎と手紙魔であった賢治との間に交わされた往復書簡(東京⇄岩手)がほとんど消失していることは不自然。その内容の如何を問わず、賢治という詩人の価値を貶めるものではないと信じます。
(山羊 記)
日本女子大・成瀬記念講堂(一九〇六年築)
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